< 引用その4 >

 グネーシンがわたしに語ってくれたのだが、革命前に、当時の首相ピョートル・ストルイピン(一八六二〜一九一一)が、音楽院には何人のユダヤ人学生が在籍しているかを問い合わせてきた。グネーシンは自分自身もユダヤ人であったが、そのときのグラズノフの答えを深い感動をこめて思い出していた。グネーシンの言葉によると、グラズノフは穏やかな満足をもって、「われわれはその数を数えたことがなかった」と答えたという。
 だがこれは、一九〇五年の暴動にユダヤ人が参加したという名目で組織的虐殺の行なわれていたときのことである。ユダヤ人のさまざまな権利が無慈悲に制限されていた。高等教育機関への入学も許されなかった。それだけに、自主的で挑戦的ともいえるこの答えは、グラズノフには高くつくかもしれなかった。しかし、彼は恐れていなかった。(p294)

 

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