< 引用その7 >

 家庭を根底まで破壊しておいて、それから家庭の復興をスターリンは命令した。スターリン特有の天才的な一貫性とはこのようなものであった。これが弁証法と呼ばれるものである。残酷に破壊しておいて、残酷に復興したのだった。スターリンの発令した家族と結婚についての恥ずべき法令は誰でも知っている。それはますますひどくなっていった。外国人との結婚が禁止され、ソ連国籍をもつポーランド人やチェコ人との結婚も禁止された。それにつづいて、小学校における男女別学の法令も出された。男の子は男の子だけ、女の子は女の子だけで勉強させるのは、道徳を守り、性についてのばかげた質問を教師にさせないようにするためであった。
 健全なソヴェト家庭を実現しようとしたこの闘争の影響は、今日にいたるまで、わたしたちのなかに残っている。いつだったか、わたしが郊外電車に乗っていたとき、隣の席にすわっていたよくふとった女性が、たまたま見たチェーホフ原作の映画『犬を連れた奥さん』のことを連れの女友達に話していた。その女性はひじょうに憤慨していた。男には妻がいて、女には夫がいるのに、なんということをしているのでしょう、口にするのも恥ずかしいくらいですわ、と語っていた。映画で不道徳の宣伝をするなんて、それに、小学校でチェーホフを教えているなんて、とも言っていた。スターリンは死んだが、彼の仕事は生きつづけている。ドレスデン美術館展覧会がモスクワで開催されたとき、ソヴェトの家庭を守るために十六歳未満の者の入場が許可されなかったので、小学生たちも入場できなかった。そうしないと、子供たちがヴェロネーゼ(一五二八〜八八)やティチアーノ(一四七七〜一五七六)といったイタリア画家の裸婦を見ることだろう。そして完全に自堕落となり、まったく深刻な事態になるというわけである。
 このようなことは、つぎからつぎと起こった。石膏の裸婦像には水着がつけられ、映画のラヴ・シーンはカットされ、「裸婦」らしきものを出品しようとする画家は、警告を受けた。脅迫状が殺到するのだが、それは上層部からのものではなく、普通の人々が憤慨して、われわれ、ごく普通のソヴェトの労働者、農民の見るところ、裸婦を描くのは必要ないものとみなす、と言うのである。
 造形芸術におけるこのような恥知らずなものを非難して、ごく普通の一人の人間が傑作なことを書いてきていた。「このような絵は一時的で本能的な欲情をそそり、円満な家庭生活を崩壊に導くものである」と彼は書き、「不道徳な頽廃の罪で裁判にかけねばならぬ!」と結んだ。これはゾーシチェンコが考え出したものでもなければ、わたしが思いついたものでもない。本当にあった話なのだ。
 すべての芸術、すべての文学が疑われていた。チェーホフだけではなく、トルストイも、ドストエフスキイも疑いの目で見られていた。ドストエフスキイの長篇『悪霊』の「スタヴローギンの告白」の章は、どうしても発表が許されなかった。ソヴェトの人間を心配してのことである。ソヴェトの人間はすべてのことに耐えてきた。飢えにも、混乱にも、しだいに恐ろしいものになっていった戦争にも、スターリンの収容所にも耐えてきた。だがいま、『悪霊』の一章には耐えられず、もろくも崩れてしまうというのである。(p464〜465)

 

    「前のページに戻る

inserted by FC2 system